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副院長のつぶやき
副院長 林 行雄
オリンピック33%の確率
2020年4月7日 つぶやき132
 新型肺炎のパンデミック(感染爆発)が日本でも起ころうとしています。都市封鎖等の超法規的な措置が必要な時期に来ていると感じます。昨日(4月6日)のYahooニュースではようやく政府も非常事態宣言をするようです。ここまで渋っていましたが、おそらくは総理が踏み切れなったようですね。アベノミクスが跡形なく崩壊し、経済が総理の主張だったので、これ以上のダメージは受け入れられないのでしょうか。一説には財務省が強く反対していたという話も聞きます。長期政権の末路をみるようで、歴史は繰り返す、今回もその教訓は正しかったといえます。

 こんな情勢のなか、当然のごとく今年の夏予定の東京オリンピックは1年後に延期されました。中止でなくてよかったという意見の中、本当に1年後でも大丈夫?という意見もあります。たとえ日本が持ち直しても世界のどこかで肺炎が流行していたら簡単には開催できないでしょうから、1年後でもに疑問符がつくのもうなずけますし、もしかしたら中止もあり得るかも、と言う意見にもそれはないともいえない状況とも思えます。つくづく東京とオリンピックは相性が良くないようです。それはオリンピック候補地で一次予選で落選した大阪人のひがみだろうというご非難もあろうかと思いますが、今月の表題、33%の確率がその答えです。昨年の大河ドラマ”いだてん”にありましたように最初に東京にオリンピックが誘致されたのは1940年です。この誘致に尽力したのが嘉納治五郎であること、彼はまたそれまでは日本国内だけの武術であった柔道を世界のJUDOに発展させた恩人であること、これらは私は小学校の5年か6年の国語の授業で習いました。当時の国語の教科書には結構な長文が取り上げられていましたが、その中の一つだったと記憶します。1940年といえば、ナチスドイツのポーランド侵攻に端を発した第2次世界大戦勃発が1939年、日本と中国との全面戦争になった日華事変は1937年ですからまさに世界は戦時中であった時期ですし、1年後の1941年12月には真珠湾への奇襲攻撃から日本は世界大戦に参戦していきました。今日以上にオリンピックが開かれる状況ではなかったと思われます。そして次の誘致が1964年の10月、当時小学校1年生であった私には断片的な記憶が残ります。そして3回目の誘致が今回ですから東京にオリンピックが誘致されて予定通りに開催されるは33%の確率だと言えます。また将来4回目の誘致もあるかもしれませんので、その時は50%になるかもしれませんし、25%に落ち込むかもしれませんが、それを私が見ることはないでしょう。この相性の悪さは東京であって、日本との相性が悪いわけでありません、札幌と長野のオリンピックはいずれも大成功のうちに予定通り開催されています。過去のオリンピックの歴史を見ても予定通りの開催がほとんどですので、東京の33%はちょっと特殊ですね。今一度、日本が夏のオリンピックを再度誘致することがあるならば、できれば東京は避けるべきと申し上げたいところです。

 ネット上にもうひとつオリンピックにまつわる法則(俗説)が言われていました。40年の法則とでもいうべきもので、夏のオリンピックが40年ごとに災難に見舞われるというものです。その最初がここでも取り上げた1940年の東京、そして40年後の1980年はモスクワでした。モスクワオリンピックは開催はされましたが、その前にあったソ連のアフガニスタンへの侵攻でアメリカを中心とした資本主義国家が一斉にボイコットし、日本政府もそれに追随せざるを得なかった大会です。当時選手として最盛期にあった金メダル候補にとっては不参加は断腸の思いというだけではすまされない痛恨事だったはずです。その代表が今のJOC会長の柔道の山下泰裕さんであり、マラソンの瀬古利彦さんでした。また、当時の女子バレーも金メダルを狙えるレベルでした。日本のお家芸と言われたバレーボールもそれ以降は金メダルはおろかメダルを取ることも難しく、時には予選落ちで大会に臨めないこともありましたので、大きなターニングポイントであったと思えます。この法則からすれば次に厄介が起こる夏のオリンピックは40年後の2060年です。開催地がどこになるのか想像もつきません。私も100歳を超えていますので見ることはます無理でしょうし、たとえ生きていても知的に問題が生じているかもしれません。でも、この俗説の成否、確かめてみたいですね。還暦を過ぎると生きがいを見つけるのは至難ですので、こんなしょうむない俗説でもすがりたいものです。そのために健康であるように食べ物と生活習慣には今以上に気を配りたいですし、その前にまずはこの肺炎に苦杯をなめないようにしなければと思います。