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医療最前線
My Challenge 循環器内科
桜橋渡辺病院 循環器内科 副院長 藤井 謙司
スタッフ全員が
前を向いて走りつづける姿勢を共有している
問題点と改善点
①循環器のみの病院で、他科疾患を併発した場合に院内で共に診ることができない
→ 近隣の病院との連携で、他科疾患診療を依頼している

②スペースが足らないが、特定医療法人というしばりで移転ができず、長期休業して立て替えることもできない
→ 現在はなんとかスペースを作って対処しているが、ユーティリティーゾーンが減少している。医局、総務部門等、必ずしも院内になくてよい部署を、近隣ビルの空室に移すことも検討中

③多くの看護師が3年程度で退職するため、看護師が不足する
→ 看護師募集を常時行い、退職者数より以上の入職者数を確保するよう努力している。在職中の満足度を上げるために、種々のテーマでミニレクチャーを行ったり、看護研究を推奨して、学会での発表を積極的に支援している。また、夏期休暇の代わりに、年間を通じて1週間連続のリフレッシュ休暇を取れるシステムを開始した
桜橋渡辺病院について
 桜橋渡辺病院は、現院長の父上である故渡辺修治先生によって、1967年に、大阪キタの玄関口である梅田に消化器外来病院として創立された。その後、1970年、大阪万国博覧会の年に、心臓外科とともに循環器内科が5人体制で開始された。同時に開設されたCCUは、その前年にCCUを発足させた大阪府立成人病センターに次いで西日本では2番目であった。現在は、171床の循環器に特化した病院で、うち15床が集中治療室である。医師数は、循環器内科19名(うち1名は放射線科兼任)、心臓血管外科6名(院長を含む)、消化器外科1名(循環器疾患を有する消化器疾患の診療)、麻酔科2名である。
 第一例目の冠動脈造影法(coronary angiography:CAG)は1971年8月10日に始まり、2010年8月末現在で約43000例を数える。また、PCIは1984年10月1日に、当時在職されていた加藤修先生(現豊橋ハートセンター)が開始されて以来、こちらも2010年8月末現在で約14000例を数える。また、不整脈のカテーテルアブレーションは2000年4月から開始し、2010年8月末までで約2300例、また、年間約120例のペースメーカー植え込み、約40例のICD植え込み、約20例の心臓再同期療法(cardiac resynchronization therapy:CRT)・両心室ペーシング機能付き埋め込み型除細動器(cardiac resynchronization therapy defibrillator:CRTD)植え込みも、循環器内科が受け持っている。
研修医時代における桜橋渡辺病院とのかかわり
 私自身は、1979年に大阪大学医学部卒業と同時に第一内科に入局し、最初は心臓超音波の研究をしていた。当時、研究室があった阪大病院の中循というところには、日立メディコ社製のEUB10Aプロトタイプという世界での第一号機の超音波断層装置があり、それを使っていろいろな疾患の診断や研究を行っていたのだが、1年後に研修医として桜橋渡辺病院に赴任したときに、同じ器械が置いてあり驚いたことを覚えている。何でも、試作機が2台作られて、1台は阪大病院中循に、もう1台は桜橋渡辺病院に設置されたのだという。当時から大阪大学との強い連携関係があったことがうかがえる。
 その頃の桜橋渡辺病院のリーダーは、循環器内科創設時からおられた南野隆三先生である。南野先生は、循環器診療や研究の方向性という点に関して、他の人たちが追従できない卓見をお持ちであった。患者の症状や心電図所見が、心エコー所見やCAG所見と合致しない場合は、心エコーやCAG所見の方が間違っていないか見直しなさいとよく言われたものである。数多くの症例を見て、その多くからはずれる病態を詳細に観察し、その理由を考察して検証するという「例外から学ぶ」姿勢を重視されていた。そのため、現在研究の手法として確立されている、他施設共同無作為化試験については、例外をキャンセルして平均化してしまうということで、否定的な意見をお持ちであった。その是非はともかくとして、小さな個人病院の臨床医でありながら、独自の意見を貫かれた南野先生の下で研鑽させていただいたことは、私にとって大きな財産である。
DCAとの出会い
 大阪大学での研究は超音波を使った診断学であったが、どうしても治療学がしたくて、平成元年に桜橋渡辺病院に戻ってからは、加藤修先生と一緒に冠動脈形成術を盛んに行った。ご存知のように、加藤先生も、方向性は違うが、南野先生同様、独自の世界を貫かれる先生である。特に人がやっていないことを実現する強いバイタリティーをお持ちで、そのことは、当院を卒業されてからの先生の足跡にも現れている。加藤先生の努力のおかげで冠動脈形成術領域における桜橋渡辺病院の地位が認められたことが、1991年から始まった方向性冠動粥腫切除術(directional coronary atherctomy:DCA)の日本での承認治験に参加できたことにつながっている。DCAは、もうすでに過去のものとなってしまったが、当時の私にとっては、全く未知の技術を新しく始めるという、一歩間違えれば大変なことになる冒険であった。DCA第一例の施行時に、日野原知明先生に立ち会っていただいてやり終えたときの達成感、そのあとで、多分に社交辞令であったとは思うが、私の技術やカテ室の設備、スタッフの動きなどについて日野原先生からいただいたお褒めの言葉は、その後の大きな自信となった。
桜橋渡辺病院の現状
 当院は、もちろんカテーテルだけをやっている病院ではない。昨年、当院を卒業した伊藤浩先生(現岡山大学循環器内科教授)が中心となって、超音波エコー法の分野では国際的に評価されるようになったし、マルチスライスCTを用いた冠動脈の診断や研究では、豊富な症例数をもとに、大きな成果ができつつある。また、不整脈に対するカテーテルアブレーションにおいても、特に心房細動のアブレーション症例数は全国でも有数である。
 他の施設の先生方とお話をしていてうらやましがられるのは、循環器に特化しているということと、スタッフ全員が一つの目標に向かって進む体制が整っているということである。新しいことを始めようとすると、それによって仕事が増えることを嫌う勢力が多かれ少なかれ存在するのが普通だそうであるが、当院では、それが患者さんのためになることであれば誰も反対しないし、むしろ全員が何らかのかかわりを持ちたくて積極的に動く。
 マグロは止まると、呼吸ができなくなって死んでしまうので、生涯泳ぎ続けるのだそうだ。よそから何の財政的援助もない当院もそれと同じで、立ち止まって生き続けることができるほど、取り巻く環境はやさしくない。走り続けないとだめになるということが、全職員の意識に浸透していることが、当院の大きな強みである。

循環器内科
これで変わった! 私のブレイクスルーポイント
経皮的冠動脈インターベンション(percutaneous coronary intervention:PCI)、特にDCAとの出会いである。この承認治験に携われたことで、大きな自信が生まれた。
研修について
 当院では初期研修はできません。またとりわけレジデントという制度も設けていませんが、卒後3年目以降の医師には、3年間で、超音波エコー法、診断カテーテル法(電気生理検査も含む)、緊急PCI、集中治療室での患者管理は1人でできるようにマスターしてもらっています。また、待期的PCIはタイプB病変までは主術者として、タイプC病変でも症例を選べば主術者になれることを目標に教育しています。カテーテルアブレーションは3年では助手程度までですが、適性や症例によっては主術者としてできるかもしれません。ただ、今のところ、循環器内科では、医師の一般公募は行っておりません。
引用
CIRCULATION Up-to-Date
2010 Vol.5 No.6
メディカ出版

藤井 謙司 Dr.の写真
桜橋渡辺病院
循環器内科 副院長
藤井 謙司