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副院長のつぶやき
副院長 林 行雄
大阪地下鉄民営化
2018年4月6日 つぶやき108
 4月は新たな年度の始まりで、大学には新入生があふれ、役所や会社には真新しいリクルートスーツに身を包んだfresh manがちょっと迷った子羊のような緊張感を醸し出していることでしょう。当院桜橋渡辺病院も4月1日に新たに30名の新入職員を迎えました。当院は昨年に創立50周年の節目を迎え、病院建物自体の老朽化は覆うべくもないですが、近い将来の新築移転へのスタートとして新たな気持ちで診療に取り組みたいと思います。

 毎朝、通勤で利用している大阪地下鉄が4月1日をもって民営化されました。特に急に何かが変わったわけではありません。外観もそのまま、時刻表もそのまま。変わったところは車掌さんのアナウンスが”毎度大阪地下鉄をご利用くださり、ありがとうございます”が”大阪メトロをご利用くださりありがとうございます”になったことくらいでした。民営化されたからと言って一朝一夕に変わるものではないでしょう。運賃の値上げは勘弁してほしいですが、サービスの向上等、より使いやすく、便利な地下鉄になってくれたら民営化の是非もおのずから明らかになると期待しています。

 昔話で恐縮です。思い起こせば、幼少時に官公庁の営業下にあった様々なものがこの30年のうちに民営化されていきました。中でも私にとって一番鮮烈であったのは国鉄の民営化でした。当時の国鉄は毎年赤字を計上していたものの、日本にとって鉄道は通勤、通学のライフラインであり、営利団体というより、水道や電気と同様に生活必需品ともいえるような存在でしたので、本当に民営化するのだろうか、民営化して大丈夫?と思っていました。国鉄としての最後の日は昭和62年3月31日。当時大学院生としてほぼ毎日のように夜遅くまで研究にいそしんでいましたが、まだ医学部附属病院が大阪市内の福島にあったころです。ほぼ終電車近くで帰宅する途中、ちょうど大阪駅でその日の日付変更線をまたぎました。その日は真夜中にもかかわらず多くの人がホームにいて、ちょっと異様な雰囲気があったことが記憶に残っています。そして、暦の上で4月1日なってからの最初の電車(快速だったような)が京都方面に出発したとき、どこからともなく”万歳三唱”、が起こり、そうなんだ、今日からJRになったんだ、と気がつきました。国鉄が民営化されて、明らかに便利になりましたし、駅員さんの対応も親切になりました。その点では民営化はYESだったと思います。ただ、便利にしたいがゆえのひずみもありました。

 昭和のころ、大阪から宝塚へ行く時は阪急電車でしたし、国鉄で行く人はほとんどいなかったと思います。今でもそうですが、阪急と国鉄の宝塚駅は道路を挟んで向かい合っていますので、どちらを使ってもいいはず。でも、当時の国鉄の宝塚は大阪から福知山に至るローカル線の福知山線の一部に過ぎず、電化もなく、ディーゼル(昭和30年代までは蒸気機関車も走っており、大阪駅でSLが普通に見られましたよ)で運行されていました。遅い上に列車の頻度も少なく、ほとんどが福知山行きで大阪‐宝塚のみを頻回に往復運行するという意図は全くありませんでした。要は収益という概念にかけていました。それがJRに変わると電化に伴い大阪―宝塚の高速化が進み、阪急と時間競争ができるくらいになりましたし、福知山線沿線もにぎやかになっていきました。当時のJRと関西の私鉄との時間競争は大阪‐宝塚はまだかわいい方で大阪‐京都や大阪‐神戸は熾烈でした。時間を1分でも短縮することが、収益に直結するような風潮もあったように思います。結局どの路線もJRに軍配があがり、私鉄各社は出発駅と到着駅の時間競争をあきらめ、各路線の途中駅の利用者の利便性の向上に転換しました。このスピード競争の中で一番重視すべき安全性が置き去られ、その結果、13年前の福知山線の脱線事故の大惨事となるバックグラウンドになったと指摘されたことは皆様の記憶に新しいと思います。大阪メトロにはこの教訓を忘れることなく、安全性と利便性のバランスのとれた地下鉄になることを願いたいと思います。

 この安全性と利便性、何も交通機関だけではありません。医療も本質的には同じです。利便性がよくなり、そのうえに安全性も高まれば申し分ないのですが、簡単ではありません。高度の医療にはリスクが伴いますし、安全性のみを追求すれば、無理のない医療に落ち着き、その”無理のない医療”という言葉は一見響きはいいですが、患者さんに最新の医療を提供することを回避することにつながる可能性があります。医療のプロとして時にはリスクを承知のうえでそれでも安全性を確保して達成するのが理想です。本院は循環器専門病院としてその理想を達成するポテンシャルがあると思いますし、これからの10年にその期待に添うべく努力したいと思います。