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副院長のつぶやき
副院長 林 行雄
銅メダルで謝ることはない
2016年9月5日 つぶやき89
迷走台風(10号)の影響でしょうか、関西は急に夏の暑さが和らぎ、すこし過ごしやすくなりました。それまでクーラーなしではしのげなかった夜も過ごしやすくなり、朝夕の風にもどことなく秋の気配があります。

リオ・オリンピックが終わりました。日本選手団の予想以上の健闘が光った大会でした。そのリオ・オリンピックの中で一番印象的なシーンは?と聞かれたら、おそらく多くの方が陸上400mリレーをあげられるのではないでしょうか。リオと日本の時差はちょうど12時間、なかなかLiveでみる気にはなりませんでしたが、この日は運よくお休みの朝でしたので、数少ないLive観戦でした。ちなみにLive観戦したのはもうひとつだけ、卓球男子の決勝でした。(仕事どうしたの?という突っ込みにはなしでお願いします)。その400 mリレー、ジャマイカ、アメリカの1, 2フィニッシュは間違いなし、カナダ、イギリスなどを抑えて銅メダルが取れるかどうかというのが私の独断だったのですが、アメリカにタイムでも上回ったのには驚きました。特に3走の桐生選手の走りには感服しました。Liveでみている限りはジャマイカのアンカーのボルト選手より日本のケンブリッジ選手へのバトンが早かったように見えましたので、脈拍が一気に上昇しました。桐生選手は個人種目では結果が残せませんでしたが、リレーとなると別人、高い潜在能力を見せつけてくれました。まだ若いですし、やはり10秒の壁を破れるのは彼かもしれませんね。

今度のオリンピックでは日本選手では過去にあまりなかった土壇場の逆転劇がたくさんありました。女子レスリングやバドミントンダブルスがその代表例かと思いますし、体操個人総合の内村選手の最後の鉄棒もそうでした。金メダルには届きませんでしたが、卓球団体男子決勝での水谷選手の1勝も終盤の大逆転でした。これまではどちらかといえば日本がリードしていたのに逃げ切れず無念の逆転負けが定番で、そのたびに日本人の精神面がどうなの?という議論がありましたが、今回はそんな場面はあまりなかったのも不思議なものです。

さて、今日のタイトル、日本選手団の副団長の柔道の山下泰裕さんのインタビュー記事からの引用です。柔道男子は前回のロンドンでは惨敗でしたので、多くの日本人がお家芸の復活を望んでいたと思います。結果はすべての階級でメダルを獲得し、前回の無念を晴らしたと言えます。でも、”柔道では金メダルを取らないとだめ”という思いは各選手にあるのでしょうし、そうしないと国民が納得しないと思っておられるのでしょう、銅メダル獲得後のインタビューでは他の競技のように素直に喜んでいる姿はありません。そんな中で山下さんの言葉は印象的でした。柔道は一本で勝ってこそ美しい、それは昔から日本人が抱いてきた感情だと思いますし、今でもそれがすたれたとは思いません。しかし、今回のオリンピックでは優勢であれば、あえて一本にこだわらないし、たとえ警告をもらってもいいから試合を流して勝つ(逃げ回っているとも言えます)、という現実的な勝負にこだわる姿勢がありました。過去にそんなことをしたらたとえ金メダルでも卑怯だと、日本のマスコミにたたかれたのではないかと思いますので、今回の柔道競技での日本のポリシーもずいぶん変わったと思いましたし、それが現実なんだとも感じました。
山下さんの言葉にはプラスαがあります。柔道関係者ならオリンピックで銅メダルを取ることがいかに大変であるかは皆知っています。だから銅メダルで謝る必要はないのです。柔道の国際レベルは上がってきて、過去のように日本が優位にいるわけではないですし、それは言い換えれば柔道という日本固有の競技が国際的に認められた証といえます。その現実を彼は伝えたかったのだと思います。彼の思いは一種の精神安定剤のように思えます。ただひたすら金メダルが絶対だと、選手にストレスをかけることが良い方向に働く人もいるでしょうが、逆効果の方が多いのではないかと思います。適度のストレスと適度の褒め言葉(”おだてる”とも言います)が今の若い人を育てるには必要で、昔の”根性論”はちょっと合わなくなってきている、そんな現実を今度のオリンピックで感じました、と言ってしまうとそれは論理の飛躍だと皆さんの嘲笑を受けるかもしれませんね。