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副院長のつぶやき
副院長 林 行雄
スポーツとケガ
2016年10月5日 つぶやき90
大相撲9月場所は大阪出身の豪栄道の全勝優勝で幕を閉じました。場所前に彼の優勝を予想した人はプロの解説者を含めてほぼ皆無だったでしょう。なにしろカド番でしたし、昨今の豪栄道の成績はおおよそ大関としては物足りないものでしたので、全くの大穴だったといえましょう。場所前には横綱白鵬の休場が伝えられ、綱取りに臨む稀勢の里に追い風が吹いている、今度こそ優勝、そして日本人横綱が誕生という期待一色でしたから、余計に意外性が際立ちました。マスコミはどんな時も基本、後出しじゃんけんですので、優勝した豪栄道をああだ、こうだとほめたたえます。相撲解説者もこれに便乗、豪栄道のけいこ熱心やその潜在的な能力を評価します。まあそれは事実だと思いますが、成績不振の折りはそんな話聞かなかったような気がするなあ、と思うのは私だけでしょうか。ただ、豪栄道のここ1年の不振は度重なるケガが大きな原因という報道は説得力がありましたし、このまま万全の状態でのぞめば、次の場所には日本人横綱の誕生も期待できそうです。

スポーツにはケガはつきものと言われますし、ケガが原因で本来の力を発揮できないことはよく話題になります。相撲では将来を嘱望される遠藤が膝に大ケガをしてここ1年は低迷していましたが、かなり良くなったのでしょう。先場所の相撲は復活を印象づけられました。逆に大関照の富士はまた膝を悪くしたのではないか、と思えるような内容で、来場所はカド番。才能がある人だけに無理をしてケガで泣かされているのは傍目からみても可哀そうです。テニスの錦織選手もケガがなければという試合もいくつかありました。テニスのツアーは世界をまたにかけての過密日程ですので、ケガなしというのが到底無理ではないか、と思えます。ただ、その環境はみんな平等ですので、ケガをしない体づくりだけでなく、ケガをしてもいかに最小限に抑えるか、もトッププロの才覚なのでしょう。

プロであれば、たとえケガをしてもそれは自己責任ということでしょうが、アマチュア、とくに初心者がケガをしたら自己責任というのは酷です。最近の記事にプールで教師の指示で飛び込みをして、首の骨を折って腕から下がマヒのままという高校生の記事がありました。報道によると教師が学校のプールで飛び込みを強制、それにこの高校生は初心者であったという内容、これは唖然とするというレベルを越えて、まだ初心者に飛び込みをさせている教師がいるということに怒りさえ覚えます。学校のプールは生徒がプールで立つことができるようにという安全面を優先して、どのプールも浅いです。そのため初心者に飛び込ませると頭をプールの底にぶつけて、首の骨折という危険が多々あります。これは以前から指摘されてきたこと、つまり、安全第一で設計された学校の浅いプールが飛び込むには不適正であることは常識と言ってもいいでしょう。それでもまだ飛び込みをさせる教師が後を絶たない、いったい教育現場はなにをしているのか、と思います。同じことが医療現場で起きたら、マスコミはどれだけ叩きまくるか、容易に想像できます。教育現場は将来のある子供たちが主役です。もっと厳しい目を向けて、マスコミが持つ本来の役割を発揮し、2度と同じ誤りをさせない、という姿勢がほしいものですし、教育を統括する文部省にも責任があるのは明白だと思えます。

体育を含めた広い意味でのスポーツが教育に大きな役割を担っていることは明白です。ケガなしで教えられるかと言われれば、それは難しいと思います。ただ、子供の将来を奪いかねない大ケガは絶対起こさないことは大前提でしょう。以前からの話題としては組体操は危険だからどうするかという話があります。最近は運動会で以前ほど行われなくなったそうですが、全く禁止というのはいただけません。私達の世代では6年生が運動会で組体操、とくにピラミッドと言われる何段も重ねたものを披露するのはルーチンでしたし、運動会の華でした。しかし、その練習中や本番中にけが、時には骨折、になる子供が続出したのでその是非が議論され、学校側も消極的になりました。でも、これは先にあげた飛び込みとは全く意味が違います。組体操を終えて、子供なりに感じた充実感は何物にも代えがたい教育のたまものでしょう。そんな満足げな子供たちの表情はまさに教師にとっても教師冥利ではないでしょうか。ケガというリスクと達成感というベネフィット、これをうまく天秤にかけることが教師の器量と言えると思います。 単に危ないから禁止では教師のプライドはどうしたの?と聞きたくなります。

ここ医療現場にはそれ以上のリスクが転がっています。この病院は心臓の専門病院ですので、そのリスクは他の病気より高いと思えます。それを承知しつつ患者さんが一番利益を得る方法を提供したいのは本院スタッフの共通の思いです。それは今もこれからも失いたくないという医療人としてのプライドがあります。