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副院長のつぶやき
副院長 林 行雄
礼と握手
2019年4月5日 つぶやき120
 ”春は選抜から”という昔からのキャッチフレーズがありますが、その選抜高校野球とともに、日一日と昼の時間が長くなっていくのがわかる季節になりました。朝の通勤電車で試合に行くのであろう高校生の集団にお目にかかるのも春休みの風物詩と言えます。

 その選抜ですが、大会2日目の試合の横浜‐明豊戦の試合終了後のセレモニーがネット上に様々な反響を呼んでいます。高校野球(アマチュア野球でもそうですが)の試合では試合の前後にホームプレートを挟んで両チームが整列し、お互いに礼をしますが、最近の高校野球では試合終了後の礼の後にお互いのチームが自発的に握手をするというシーンがよく見られるようになりました。この試合の終了後も明豊の選手が礼の後に握手を求めたところ横浜の選手がほとんど応じることなく、自軍ベンチ前に戻りました。そのシーンを見て、横浜の選手が礼を欠くという非難的な意見がネット上でにぎわいました。なかには試合後の握手は必ずしも必要でないので礼を欠くとは言えないという意見もありましたが、少数であったように思います。今大会でプロ注目の及川投手擁する優勝候補の横浜が意外にも5-13と大敗したこともその背景にあって礼を欠いたという推測もありました。その真意はうかがい知ることはできませんが、45年前の高校球児である私個人の考えとしては握手をしなかったことが礼節を欠いているとは思えません。

 礼を重んじるのは日本人特有の文化といえます。勝負事の前後、”礼に始まり礼に終わる”というのは幼いころから当然のこととして理解してきたことだと思います。日本の国技である相撲や柔道、剣道、スポーツではないですが、藤井聡太さんの活躍で注目の将棋でも同じです。それに対して欧米では勝負の後はいわゆるno sideと言われ、お互いが握手や抱き合うというシーンがサッカーやラグビーでは日常的で、礼で終わるとう文化はありません。つまり礼で終わるか、握手で終わるかはその国の歴史と文化の違いと言えます。

 ただ、国際化がすすむといつまでも日本固有の文化ばかりというわけにもいきません。柔道が世界のスポーツJudoとして世界的に受け入れられ、オリンピックの確固たる競技種目になってから日本固有の競技のままであれば起きなかったであろう変化がありました。柔道着がカラーになったこと、判定が審判の旗からポイント制になったこと、いずれも合理性という観点からは納得できるものですが、柔道着のカラー化には違和感があった方は少なくないと思います。また、オリンピック等の国際試合を見ていると試合が終わった後、礼のあとにお互いが歩み寄り握手をするのが通常ですが、日本だけなら礼で終わるはずです。これも国際化の故だといえます。

 私達の世代(昭和30年前半の生まれ)幼少期のテレビでみられるスポーツといえば、大相撲とプロ野球だけでした。特に相撲の影響は大なるものがあったと思います。ですから”礼に始まり礼に終わる”ことは自然に理解していたように思えます。今の高校生の世代となるとサッカー、ラグビーやバスケット、最近はカーリングなど多彩なスポーツを見ることができますので、”礼に始まり礼に終わる”スポーツより握手で終わるスポーツを見ることが圧倒的に多くなりました。そのうえ最近の大相撲はその”礼”が結構いい加減になっているのが私は問題だと思います。よく立ち合いの呼吸が合わないことが大相撲では指摘されていますが、勝負の前後の礼も日本の美しい文化として、相撲協会の幹部がきちんと教えてほしいものだと思います。

 高校野球は日本独特のイベントで、国際化の波を受ける必要はありません。試合の後も礼で十分だと思いますが、それは古い人間の自己満足かもしれません。時代とともに変わることもありだと思います。高野連は特に指導するわけでもなく自然に任せているようですが、握手で終わるスポーツで育った世代には礼だけで終わる事への戸惑いもあるかもしれませんので、高野連はどうするかを決めて、しっかり指導してもいいように思います。握手をすることがいけないこととは思いませんが、礼をして勝ったチームはホームプレートに残り、負けたチームはそれを讃えて速やかにベンチ前に整列する、そして望むらくは勝ったチームは負けたチームの心情をかんがみ、ベンチに戻るまではあまりニヤニヤしたり、ガッツポーズなどを控えてくれたら思います。それを見ていて”美しい”とか”すがすがしい”とか思う日本人の心が薄れていくのは昭和の世代にはちょっと残念ではあります。高校野球は教育だと高校野球の指導者は言いますが、敗者をおもんばかる気持ちも大切な教育であるはずです。