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副院長のつぶやき
副院長 林 行雄
麒麟が来る
2020年1月7日 つぶやき129
 オリンピックイヤーの幕開けです。まだまだ先のこと、と思っていましたが、いつものことながら光陰矢のごとし、です。年末は懲りもせず、大河ドラマの”いだてん”の総集編を見ていました。視聴率は最悪との評判が芳しくなかったことは皆様もご存じのことと思いますが、あらためて見て素材はいいものだと再認識しました。例えるならばいい食材を使って料理しているのに食べてみたらそれほどではなかった、シェフの腕に問題があった、という結論でしょうか。前回の東京五輪を知っている世代は皆さん60歳を超えていますので前回の五輪招致にまつわるエピソードの多くは視聴者には新鮮に映ったと思います。もう一工夫あればおもしろい大河ドラマとして歴史に刻めたかも、と思えてなりません。

 NHKとしても2年連続転ぶわけにもいかないでしょうから、物語の舞台を一番受ける戦国時代に戻すのはわかりやすい戦略といえます。戦国時代のヒーローといえば、秀吉であり、信長であり、家康ですが、彼らは大河ドラマの長い歴史の中で何度となく登板しましたので、さすがに再登板は躊躇するところでしょうね。ただ、今回の主人公の明智光秀というのは結構ギャンブルな選択だと思いました。元来、ドラマの主人公が悪人であってはいけないですが、明智光秀については信長に謀反し、本能寺の変でこれを討伐したものの、ほどなく秀吉に敗れ、”三日天下”と揶揄されているくらいその印象は芳しくありません。戦前の小学校の歴史で覚えていることは日本の歴史に2人の極悪人がいて、その一人が後醍醐天皇を裏切った足利尊氏であり、もう一人が明智光秀だとは私の母によく聞かされたセリフでした。さすがに戦前の教育にはそれなりの意図があるでしょうが、私が受けた戦後の歴史授業でも明智光秀は悪役であることには変わりはありませんでした。ただし、もし本能寺の変がなかったら、ここまで光秀も悪くは言われることはなかったでしょうし、彼が治めた京都の福知山ではいまでも彼の善政が語り継がれていると聞きます。もし信長が天下を取っていればその忠臣の一人として光秀はその能力を高く評価されていた可能性は大いにあったと思います。光秀の生い立ちに定説はなく、これまでも推察というよりこうだったら面白い、という感覚で物語が語られてきた経緯があります。ただ、彼が歴史の表舞台に登場した時、これについては15代室町幕府将軍、足利義昭が信長に頼った際に義昭の側近として仕えていたことについてはほぼ異論のないところで、その後光秀は歴史の表舞台に足跡を残します。義昭が信長と対立すると信長の家臣に転じ、家臣団への新参者にもかかわらず信長がその能力を評価し、重用したことは信長の現実的な性格を表している一例としてよく引用されてきました。ですから本能寺の変までの光秀はいくらでもかっこよく描くことができると思いますが、さて、最後の本能寺、どんな描き方で終わるのか、それが楽しみです。本能寺の変は戦国時代最大のミステリーでなぜ光秀が裏切って、本能寺を起こしたかに定説はなく今でも諸説が乱立しています。今回は光秀が主人公ですから、光秀に同情的な説に落ち着くことは容易に想像できますので、ある程度は本能寺の変は美化されることでしょう。

 でも一番問題なのは光秀の最期です。本能寺の変後、山崎の戦いで秀吉に完敗し、居城の坂本城に落ち延びる際に農民の竹やりに刺されて死んだことはあまりに有名です。ヒーローの最期としてはちょっと物悲しいものです。大河の主人公の死にざまをいかに盛り上げるか、長編ドラマの総仕上げといえましょう。西郷隆盛の西南戦争最後の城山の戦い、井伊直弼の桜田門外の変での暗殺劇、源義経の衣川での弁慶の立往生、坂本龍馬の近江屋での暗殺劇、最近では真田幸村の大阪夏の陣での戦死、いずれも華のある最期です。光秀もいくさで華々しく討ち死にしたらそれは華なんですがねえ。これを曲げるのはいくらフィクションの大河ドラマとはいえ違和感満載となるでしょう。もしかしたら最近のNHKの必殺技のいわゆる”ナレ死”で終わるかも、という推察も含めて最後までおもしろい大河になることを期待しています。もし、光秀が華のある最期で終われたらこれからの大河の主人公の選択の幅が広がると思いますし、石田三成や今川義元も今後の選択肢に入ってきそうです。でもその前に戦国時代をやるなら北条早雲から氏綱、氏康の北条三代、やってほしいですし、早雲が登場する前の関東の争乱を太田道灌を軸にやるのも私個人としては一興と思うのですが、歴史を理解するのが簡単でない時代ですので大衆受けに至るかは脚本次第でしょうか。